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初日の出暴走って今もあるの?どうして河口湖を目指したの?

今の20代前後の世代は実際に暴走族をみたことはあるのでしょうか?

1970年代、80年代は週末になるとマフラーをはずしたやかましい排気音をまきちらしながら、何十台ものバイクや車が通り過ぎていくのを頻繁にみかけたものです。

なかでも「初日の出暴走」として関東近郊の暴走族が元旦にこぞって河口湖をめざして大規模な暴走行為を行っていたことは、関東近郊のみならず全国的にもよく知られているのではないでしょうか?

当時はお正月のニュースには必ず目にした記憶があります。

しかしながらこの10〜20年はまったく目にしなくなりましたよね?ただ単にテレビで見なくなっただけなのでしょうか?

それともお正月恒例行事としていまも続けられているのでしょうか?

この記事では「初日の出暴走」の現状と、近年の暴走族について調べてみました。決して暴走を称賛する記事ではないので悪しからずご承知おきください!

「初日の出暴走」は今でも続いている?

今も続いているの?

「初日の出暴走」という言葉でみなさんがイメージするのは、何百台ものバイクや車で爆音を撒き散らしながら高速道路を占拠するかのように走行する暴走族を思い浮かべるでしょう。

富士五湖を目指す”本家”初日の出暴走は1990年代をピークに2000年以降に減少し、令和に入った今は大晦日から元旦の朝にかけての暴走はほぼなくなりました。

以下の表は警察白書による暴走族の年間の検挙人数です。

集団暴走は道路交通法上では共同危険行為に分類されます。30年で9割減少したことがわかります。これは年間の人数ではありますが初日の出暴走に関しても割合は同様であろうと考えられます。

平成元年(1989年) 令和元年(2019年)
道路交通法違反 97,789人 6,936人
共同危険行為 6,764人 667人

参考:警察白書

 

大規模な暴走は見られなくなりましたが、警察は年末年始は必ず特別警戒を実施し中央自動車道の取り締まりには今でも多くの人数を割いています。

近年は警察もSNSを利用して告知をしていますね。若年層に目に触れさせるには効果的なのでしょうね。

”本家”はなくなりましたが、下記記事のように、様々な地域に分散されて小規模ながら今でも初日の出暴走は続いているようです。

こちらは高知新聞2020年の記事より。

県警は大みそかから元日にかけて「初日の出暴走」の取り締まりを行い、前年より12件少ない6件を道交法違反容疑で摘発した。確認した暴走車両も25台と前年より20台少なく、逮捕者、押収車両はなかった。

引用元:高知新聞 2020.01.03

 

こちらは千葉日報2018年の記事です。

千葉県警交通捜査課と匝瑳署は25日、道交法違反(共同危険行為など)の疑いで山武や八街、佐倉市に住む16~17歳の高校生ら少年6人を逮捕、送検し、3人を書類送検したと発表した。

 9人の容疑は昨年12月31日午後11時40分ごろから約20分間、匝瑳市八日市場から旭市横根までの国道126号で約16・5キロにわたり、ミニバイクやオートバイ計7台に分乗し、信号無視や対向車線にはみだして走行するなどの集団暴走をした疑い。

引用元:千葉日報 2018.04.26

また、近年では「旧車會」と呼ばれるグループによる集団暴走が問題視されています。

中高年を中心としたグループで、かつての暴走族のような威嚇行動などの過激さは見られないものの、集団で騒音を出しながら走る行為は暴走族との違いを見つけられません。

暴走族の種類

警察の定義によると暴走族は「共同危険型」「違法競争型」に分類分けされています。

「共同危険型」

マフラーをはずしたり、大音量のホーンを鳴らしながら大音量で集団暴走するグループ

一般車両を威嚇したり、グループ間の対立抗争、暴食団とのつながりなどがピーク時には、大きな社会問題とされた。

「違法競争型」

小グループ、時には単独で「走る」ことに特化したグループ

首都高ルーレット族、湾岸ドリフト族、峠道でのローリング族などいわゆる「走り屋」と呼ばれる集団。

 

現在は年末年始の取り締まりは、かつての富士山周辺を目指した「共同危険型」暴走族よりも、各所で単発ゲリラ的な活動をする「違法競争型」への比率も高くなっています。

そもそも「初日の出暴走」って?

一般の人々に認知されるような大規模な暴走は1989年(平成元年)が始まりとされています。

関東周辺の暴走族が元日を富士五湖周辺で迎えるために、大晦日の夜に各所から集まるようになりました。1990年代にどんどん規模が拡大しましたが、原因のひとつにテレビがあります。

お正月のニュースで、取り締まる警察と暴走族との攻防が「風物詩」として取り上げられるようになったことに加えて、「警察潜入24時」などの特別番組でくわしく伝えられるようになり全国的に認知されました。

関東の暴走族が富士五湖を目指すには中央自動車道を走ります。

実質的な入り口とも言える八王子料金所での大規模な取り締まりの様子や、談合坂サービスエリアに集まる様子は格好のテレビネタとなり、そもそも「目立ちたがる」欲求をもつ集団にとってはこの上ない高揚感を味わう舞台となったことは想像に難くありませんね。

要所要所での取り締まりや、暴走族による低速走行などにより、大晦日の中央道は毎年大渋滞になりました。交通機動隊などによる検問は年々厳しさを増していきましたが、いかにそれをかいくぐり突破できるかのスリルを味わうことも彼らの楽しみのひとつでした。

警察や交通機動隊による厳しい検問、検挙によって年々減少し2000年(平成12年)以降は減少傾向が強まりました。

筆者自身も2000年前後は家族行事で元旦の朝から中央自動車道を利用することが幾度かあり、八王子料金所を過ぎたあたりから河口湖への分岐あたりまで、高速道路上に点々と乗り捨てられた自動車やバイクを相当数見かけたものです。

元旦に河口湖へ行ったこともありますが、現地でも道中でも実際に走っている暴走族を見かけたことはありませんでしたので、日の出とともに解散していたのでしょうか?

それともほとんどたどり着けなかった?

実際に参加された方に聞いてみないとわかりませんね。

なんで河口湖を目指したの?

ゴールは河口湖だった?

初日の出暴走は河口湖を目指した。とよく言われますが、実際のところ決まったゴールがあったわけではありません。

ざっくりと富士五湖周辺、富士山を目指していました。

元旦に富士山からのご来光を拝みたいという願いは日本人なら微塵も疑問を抱かないのではないかと思います。その点だけを見れば殊勝な心をもちあわせている?と言ってもいいのでしょうか?

なぜ河口湖と言われたのかは理由があります。

中央自動車道を利用して富士山方面へ向かうには、山梨県の大月ジャンクションで分岐する河口湖線へ入る必要があります。そのまま富士山方面へ南下していくと、富士五湖のなかで最初のインターチェンジが河口湖インターチェンジなのです。

そこで高速道路を降りて、河口湖周辺や近くの富士急ハイランドの駐車場に集まったことが真相だと思われます。河口湖線は見通しも良い道路で、ドライブにはとても気分も良く、大勢で走りたくなる気持ちはわからなくはないです。

まあ、深夜ですと何も見えないのであまりその点は関係ないのかもしれないですが…….

富士山周辺を目指したもう一つの理由

暴走族が富士山を目指したもう一つの理由、きっかけがあります。それは富士山の麓にある「富士スピードウェイ」というサーキットです。

1970年代にこの富士スピードウェイで「富士グランチャンピオンシリーズ」という国内のトップカテゴリーレースが開催されました。このレースで使用された市販車の改造がグラチャン仕様と呼ばれ、レース好きの間で自分の車をグラチャン仕様に改造することが流行しました。

その改造車で、グラチャンレースを見に多くの人や車がサーキットに集まるようになります。このグラチャン仕様の改造がどんどん派手になるのと同時に、人目をを引くために個性的な改造へと変化していったのがいわゆる「族車」です。

族車の代名詞でもある「竹ヤリ」「出っ歯」などの改造はレーシングカーのマフラーやスポイラーを誇張した改造なのです。

1970年代に、改造車で富士スピードウェイに集合する流れが、1980年代に入り、元旦にお祭り気分で集団暴走するきっかけのひとつとなったのです。

「旧車會」と「暴走族」は違うの?

「旧車會」とは?

ところで、近年耳にするようになった「旧車會」とは「暴走族」ではないのでしょうか?

混同されがちなのが、クラシックカーや旧型バイクを愛好するグループの「旧車会です。彼らは純粋に旧型の車両を愛好するグループで暴走行為などは行いません。

一方「旧車會」は旧型のバイクを暴走族仕様に改造して迷惑運転を行う集団であり、警察は暴走族の一形態として定義をしています。

「旧車会」と「旧車會」を字で分けることで属性を区別する意図がありますが、一般的には認知をされていません。

「旧車會」と「暴走族」の違い

「旧車會」と「暴走族」の区別は主な構成人員が成人か未成年かの違いによって分けられています。

旧車會の構成人員は中高年層が中心で元暴走族が多く見られます。しかし元暴走族以外の社会人も多く、週末や休日に集団走行をします。信号無視や速度違反などの明確な交通違反をしないことも暴走族との違いとして考えられていることのひとつです。

しかしながら、マフラー改造やミュージックホーンなど騒音に関する迷惑行為暴走族となんら変わりなく、近年は警察の検問、取り締まりも強化されています。

また、その集会はイベント走行など決まった日程で行われる場合もありますが、SNSを使って突発的、ゲリラ的に行われることも多く、事前の取り締まりや摘発が難しいことも特徴です。

SNSの情報を駆使して警察の検問を上手に回避することもあり、警察の目の届かないところで暴走族と変わらない違法走行をすることも報告されています。

警察の取り締まりの様子は?

暴走族構成員と検挙数

暴走族の構成員のピークは1982年(昭和56年)の42,510人です。それから年々減少していますが2000年時点ではまだ20,000人を超える数字です。

下記の表は警察発表による近年の構成員数と検挙数のまとめです。

平成27 平成28 平成29 平成30 令和元
暴走族構成員 6,771 6,595 6,220 6,286 6,073
旧車會構成員 6,173 6,114 6,304 5,882 5,661
暴走族検挙人数 道路交通法違反 12,280 10,088 9,197 7,462 6,936
暴走族検挙件数 共同危険行為 1,306 1,149 869 713 667
車両違反 177 187 132 146 117
旧車會検挙人数 道路交通法違反 1,659 1,439 1,050 859 733
車両違反 49 37 27 13 12

参考:警察白書

 

令和元年の構成員は暴走族の人数だけを考えるとピーク時の14%に過ぎません。

また、1991年(平成3年)の暴走族の道路交通違反の検挙数は111,241人で、令和元年は6,936人と6%まで減少。共同危険行為は4,535件が667件で14%へ減少しています。

ピーク時に比べて取り締まりは減った?

暴走族の人数が減ったことで警察の取り締まり体制が比例して減ったというわけではありません。富士山周辺への初日の出暴走がほぼ見られなくなったのは、今も変わらない年末年始の取り締まりや検問が大きく貢献しています。

ただ、検挙数が減った原因の一つには当時と比べて事前の情報入手が困難になっていることも一因です。

当時は地域ごとにグループ構成や活動範囲がはっきりしていました。また、当時の暴走族の情報交換の手段である雑誌などから暴走日程を把握できたことに加えほぼ予定通りに暴走が行われたことで取り締まり体制が組みやすかったのです。

近年は暴走族、旧車會ともに少人数のグループ構成に加えメンバーも流動的です。そして、暴走の計画もSNSを駆使したゲリラ的、地域的なものになり事前の把握が困難になり取り締まりも空振りに終わることも多くなりました。

暴走族側も警察の検問情報などを携帯でのやりとりで共有しながらうまく避けているのも検挙数減少の原因でもあります。

警視庁の2021年発表の暴走族対策も依然と変わらない体制を発表しています。

警視庁では、毎週土曜日と、特別な走行情報等を入手した場合には、「暴走族対策本部」を設置し、交通機動隊及び高速道路交通警察隊を集中的に運用するとともに、各警察署と連携した暴走族対策を実施しています。

また、暴走族等の組織解体や違法走行の未然防止を図るため、関係各部門等と連携し、共同危険行為をはじめとする悪質・危険な交通違反の積極的な事件化と広報啓発活動を推進するとともに、暴力団との関係や特殊詐欺への関与を含む情報収集活動にも努めています。

引用元:警視庁HP

暴走族が減った理由とは?

暴走族が減った背景

では警察の取り締まり以外で、ピーク時に比べ暴走族が14%にまで減少した理由はなんでしょう?

  • 若年層の人口の減少
  • 若年層の車離れ、バイク離れ
  • 車、バイクの価格の上昇
  • グループ内の掟や上下関係を敬遠
  • 特攻服などのスタイルへの嫌悪
  • 暴力団とのつながりが心配

などなど一元的なものではないでしょう。

今の若い世代の価値観の変化が一番大きいのではないでしょうか?

暴走族になるということがかっこ悪く感じているのかもしれません。

または、かつては暴走族へと向かわせる若者特有のエネルギーを発散させる場所が多様化しているのでしょう。ネットを初め、30年前とは違う情報量が作用しているのだと思います。

また現代は未成年の暴走族と同数の成人グループの旧車會の問題もあります。若い頃楽しく思えたことをある年齢になったときに懐かしんで、再び楽しみたいと思う気持ちはわからなくはないです。同じ価値観や趣味を共有しあって仲間と一緒に過ごす時間は誰にとっても楽しいものです。

しかしながら、それが他人への迷惑を伴うこととなると共感はしかねますよね。

筆者もバイクも車も共に好きですが、だからこそバイクや車を悪者にするような行為はしてほしくないのですけれどね。

まとめ

初日の出暴走を中心に現在の暴走族の状況を調べてみました!まとめます。

 

  • 富士五湖を目指した大規模な初日の出暴走は今ではみられない
  • 小規模、地域的なイベント走行になっている
  • 初日の出暴走がピークだったのは1990年代
  • 河口湖をはじめ富士五湖あたりをめざしたが特にゴールは決まっていなかった
  • 富士グラチャンレースもきっかけのひとつ
  • 警察の見解は「旧車會」も暴走族
  • 警察の暴走族対策は現在も活発
  • 暴走族が減ったのは価値観の変化

暴走族へと向かうエネルギーが彼らの未来を明るくする方向へと舵をきれるように願うばかりです。

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